暦仁元年(1238年)に長井時広の築城と伝えられる米沢城。
暦仁元年(1238年)に長井時広の築城と伝えられる米沢城。松岬城あるいは舞鶴城とも称された。康暦2年(1380)に伊達氏8代宗遠が、長井氏8代広房を滅ぼして長井庄を領した。15代晴宗が天文17年(1548年)米沢城に移った。17代政宗はこの城で生まれた。政宗は、天正19年(1591年)豊臣秀吉により岩出山に移封。慶長3年(1598年)より上杉氏領となるが、初めは上杉景勝公の重臣直江兼続が城主となり、慶長6年(1601年)上杉景勝公が城主となる。明治2年(1869年)の版籍奉還まで272年間、上杉氏が城主であった。舞鶴城と称した。明治6年(1873年)に城が取り壊され、明治7年(1874年)に公園として市民に開放された。四周を濠(幅20m〜36m・延長約800m)に囲まれ、濠内には上杉神社・稽照殿(宝物殿)・上杉謙信公像・上杉鷹山公像などがある。また桜の名所でも毎年春には200本の桜が綻び観光客を魅了させる。
- 名 称 米沢城址
- 住 所 山形県米沢市
- URL 米沢城址