松山市の中心部にある標高132mの城山(勝山)山頂に、加藤嘉明が慶長7年(1602年)より築城を開始し、四半世紀をかけて松山城が完成。
愛媛県観光スポット 松山城
松山市の中心部にある標高132mの城山(勝山)山頂に、加藤嘉明が慶長7年(1602年)より築城を開始し、四半世紀をかけて松山城が完成。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となる。慶長8年(1603年)に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にした。その後も工事は継続され、寛永4年(1627年)になってようやく完成。しかし直後にに会津へ転封された。その後、蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国。その後寛永12年(1635年)伊勢国の桑名城主松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、現存12天守の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない。また堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、日本さくら名所100選や日本の歴史公園100選の指定も受け観光で訪れる人々も多い。
- 名 称 松山城
- 住 所 愛媛県松山市
- URL 松山城 公式サイト