天正元年(1573年)に、豊臣五大老の一人である宇喜多秀家により築城が始められ、慶長2年(1597年)に完成した岡山城。
天正元年(1573年)に、豊臣五大老の一人である宇喜多秀家により築城が始められ、慶長2年(1597年)に完成した岡山城。三重六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしている。また、当時は築城技術の発達が著しい時期で、岡山城は豊臣秀吉の大坂城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭の魁となりました。その建築は8年にわたる大事業で、旭川の流れを変えて本丸の北面〜東面を巡らせ、堀の役割を持たせた。黒い下見板張りの外観から別・烏城と呼ばれ、また金の鯱を挙げていたと伝えられ、金烏城とも呼ばれた。惜しくも天守閣は昭和20年(1945年)に空襲で消失してしまい、現在の天守閣は昭和41年(1966年)に復元されたも。後楽園並び岡山城は二大観光スポットでもある。
- 名 称 岡山城
- 住 所 岡山県岡山市
- URL 岡山城 公式サイト