ペリーの浦賀入港から5年後の安政5年(1858年)、諸外国は通商貿易を求めて相次いで来航し、幕府に開国を迫まった。
ペリーの浦賀入港から5年後の安政5年(1858年)、諸外国は通商貿易を求めて相次いで来航し、幕府に開国を迫まった。幕府はついに開国へと踏み切り、英国・アメリカをはじめとした5ヵ国と修好通商条約を締結しました。安政6年(1859年)に、長崎は横浜・函館ともに開港され、外国との自由貿易時代へとなる。長崎も外国の商人の住む家や活動拠点となる場所を確保するため、幕府は急いで埋め立てや造成をはじめ、東山手・南山手・大浦・小曽根・梅ヶ崎・新地・出島地区一帯に外国人居留地が形成されていきました。そして居留地が廃止され、外国人が日本中に雑居できるようになるまでの約40年間、長崎は新しい時代の自由貿易港として繁栄していった。明治32年(1899年)に外国人居留地は廃止されましたが、その後も洋館は残り、長崎の街に異国情緒を醸し出していました。そして時は流れ昭和45年(1970年)、次第に少なくなってきた洋館を保存しようと、旧グラバー住宅などがあった南山手の丘を整備。市内に現存していたさまざまな洋館を移築して、グラバー園が誕生しました。それ以来、グラバー園は長崎を代表する観光地として多くの人々に愛され続けています。
- 名 称 グラバー園
- 住 所 長崎県長崎市
- TEL/FAX 095-822-8223/095-823-3359(グラバー園管理事務所)
- URL グラバー園 公式サイト